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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和24年(控)823号 判決

被告人

稻垣直作

外二名

主文

原判決を破棄する。

被告人稻垣直作を懲役六月、被告人稻垣孫正を懲役四月、被告人金仁泰を懲役参月に処する。

但し被告人等参名に対し何れも四年間右各刑の執行を猶予する。

領置に係る証第一号(花骨牌四十八枚)証第二号(花骨牌五円代用黑札二十四枚)証第五号(現金二百円)証第七号(現金千三百円)証第九号(現金八十五円)証第十一号(現金千円)証第十二号(現金五百円)は何れも之を沒收する。

訴訟費用は被告人等の連帯負担とする。

理由

弁護人高見之忠控訴趣意について。

賭博罪は偶然の輸贏に財物を賭するにより成立するものであり原判決援用の証拠に依れば所謂「のり」は他人の賭博行為の一方に加担し之と相手方との偶然の輸贏に財物を賭し其の得喪を決するに外ならぬのであるから其の行為は結局自ら偶然の事実に因り財物の得喪を決する賭博行為であると解すべきである。本件被告人稻垣孫正は淸水錫寿が他人と金銭を賭し花札を使用し俗に「花めくり」と称する賭博を為すに際し右淸水錫寿に加担して金銭を賭し同人の勝敗に依り其の相手方との間に金銭の得喪を決する賭事を為したものであるから被告人の所為は自ら賭博行為を為したものであつて他人の賭博行為に加功し之を幇助したものではない。(後略)

(弁護人高見之忠の控訴趣意第一点)

原審判決は、理由不備の違法があり、破棄を免れないものである。

一件記録に徴するに、被告人孫正は自ら賭博そのものをしたものでないことは明白であつて、淸水錫寿の所謂「のり」で行つたのである。

而して「のり」というのは、昭和二十四年六月二十八日の第三囘公判調書証人大野次男の証言に依れば、検事の訊問に対し、

答、花骨牌は三人でやるのですが、もしも六人居た場合六人共出来ないので一人が他の人と共同してやると言うことが「のり」で行くと言うことにもなりますし又全然自分で花カルタを貰わなくて最初から信賴する人に其の勝負を委せてやると言うのも「のり」の中の一つの方法であります。

随つて此の「のり」で行くと言うことは賭博の幇助をすると言うこととは趣旨が違います。

と陳述している。

然し乍ら右供述に依つて、二方法あるけれ共、前者と後者との間に、どれ位の方法の差異があるか明白でなく、後者の場合に

「幇助をすると言うこととは趣旨が異る」

と言う意味も明らかでない。

本件一件記録に徴するに、本件賭博に於て訴外川谷忠三の証言中

「川村がやるのだが金がないと言つたので、此の百円を貸してやり「のり」でやつたのであります」

とあるところより見ても常識上この場合の「のり」は、川谷が川村に金を貸し与えた一つの幇助行為と見ることが適切であると見なければならない。

本件被告孫正が「のつた」淸水錫寿の昭和二十四年七月二十一日附公判廷に於て

問、夫れで孫正は来てから何うして居たか

答、稻垣孫正さんが入つて来て、わしにも仲間に入れてくれと言はれたので、私は多勢だから自分が辞めると申しました処、夫れなら仲間をしてやろうと言われたので、二人で仲間でやることにしたのです。

問、誰が勝負を実際にやつたのか、

答、私がやりました。

問、計算は何うしたか

答、計算しない内に捕つたのです。

とあつて、前記川村、川谷の「のり」行為との間に何等の径庭を見ない、のみならず「乘り」そのものの具体的行為の内容に付ては明白を欠いている。

何れにせよ「乘り」は「乘る」であつて、淸水錫寿の賭博行為に乘じて之を行うことであつて、之を幇助と観るべきか、更に其の共同正犯と観るかは、勝負方法、計算方法等を些細に検討しなければならない。

訴外淸水錫寿は、昭和二十四年十月十八日単純賭博として、上市簡易裁判所に於て、罰金二千円に処せられているのである。

原審判決は、淸水錫寿の単純賭博に乘つた被告人孫正の行為につき、淸水との共同正犯なるか、幇助たるか更に亦自ら行つたものとしたものか判示することなく、原審判決はたやすく被告人稻垣孫正自らが正犯者として犯行を遂行した如く判示事実を説示したことは理由不備の違法があると言わねばならないのであつて破棄を免れないものである。

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